2005年12月16日

NPO法人日本ニーム協会

日印友好小学校建設&植林ツアー報告−2

2005.11.17

第2回インドブッタガヤ「日本インド友好、学校建設、ニーム植林」の旅にAI307便12時発、5名でNARITAより出発す。10時間かけてDELHIに到着、時差3時間30分。DELHIは暖かい。

翌日国内線でPATNAに行く。ここに、私のパートナー、シンさんが迎えに来る。ガンジス川を見に行く。思ったより大きい川だ。バスに揺られて5時間、ブッタガヤに着く。世界中で私が一番好きな街だ。過去、現在、未来が混同した様な街だ。人がそれぞれ自分の価値観で生きている。牛も、馬も、人力車も、馬車も、高級車も走る。うまくコントラスしている。クラクションが鳴り響くのに閉口する。日本ではあり得ないことだ。

ホテルの近くにある日本寺に、3日間座禅に行く。朝5時、ゴーン、5つ鐘が鳴る。それから寺に入り、太陽が昇るまで座禅に入る。鳥がさえずる。しばらくすると、時計の針を刻む音が耳に入る。境地に入ると、無になる。この繰り返しが続く。

19日マハボテ(ボダイ寺)に、釈迦尊の像に会いに行く。ここから釈迦尊が真理を悟り、仏教の始まりの地である。昨年も会った。そして、今年も、私と釈迦尊との約束がある。10年来るという約束が2550年前に生まれた釈迦尊の真理が、今、世界に拡がっている。日本にも来た。日本に生まれた私が、2550年前の釈迦尊に会いに来た。昨年も、今年も、来年も。
「衆生、皆、我が子なり」と言った釈迦尊の言葉が響く。我は返す「衆生無辺誓願度」(我れ誓って人類の為に尽くす)
マハボテには全世界の仏教徒が集まる。ブータン、チベット、ベトナム、タイ、中国、日本、ありとあらゆる国から仏教徒が集まってくる。仏教の聖地なのだ。金色の釈迦尊の像に新たなる誓いをし、来年も来ることを約束して出る。

その後、3日間夜、そっと釈迦尊に会いに来る。昼とは違い夜会いに来ることは、静寂の中で会える。昼は人、人、人だが、夜はいい。月光の元マハボテが輝く。静かん、手を合わせ、釈迦尊との対話を続ける。我が心の父、釈迦尊と、心ゆくまで話せる。平和の事、環境の事、貧困の事、天上天下の事。自分が何故ここに来たのか、来なければならなかったか、釈迦尊に問う。

19日午後、シンさんと2人で、ニーマ村に挨拶に入る。昨年に比べ、道が非常に良くなっていた。青年が村の入り口で花のレイをもって、歓迎してくれた。ああ、今年も来たんだなあと思った。一人一人抱きしめる。

現地に入る。昨年の荒地が今年はユートピアの土地に代わった。正に、光り輝く土地に代わった。私の眼にはそう映ったのだ。村の住民から、「今年は雨が少なく、稲や野菜の実りが少なく、出稼ぎに大勢の住民が村を出て行った。出稼ぎに行ったので明日の式典に出席者が少ないが申し訳ない。」と言われた。昨年は5000人の10村の住人が2000人も出席してくれた。「今年は、一割の200人でいいですよ。」と言ったが、1000人の人が出席してくれた。

深さ10M長さ100Mの溜池を掘る予定だったが、枯れた川が近くにあるので、この川を掘り、ここに、川底にセメントを貼り、水を溜める。これを、提案し、実行することにした。昨年90Mの井戸を掘り、今年は、溜池作りをスタートする。川を掘る。夢にも見なかった事業展開が始まった。大胆な行動である。釈迦尊も見ている。

20日の式典には、インドのテレビ(昼)、大新聞が取材に来、インタビューを受けた。昨年もテレビに出た。インタビューは、何故、ブッタガヤなのか。何年やるのか。どういう団体なのか。私は答えた。私の国際教育支援ボランティア、サバジャパンクラブは、仏教の教え。NPO法人 日本ニーム協会が、普及しようとしているニームは、インドが原産。私のやっていることが、インドで合致した。

10年計画でこのプロジェクトを完成させる。この砂漠の大地に水を出そう。入れよう。この大地に魚を飼おう。野菜を作ろう。木を植えよう。工場を作ろう。仕事を作ろう。貧困からの脱却。我が人生をかけた戦いを私と、地元民の情熱で勝負する。それを釈迦尊が見守る。苦しみが増せば増す程、頑張る。私の生き方だ。それを叶える。正に山中鹿之助の「我に七難八苦を与えられん」インドの大地で日本男児の心意気を見せん。釈迦仏の仏足跡の元に私の小さな足跡を置いてみよう。釈迦尊と二人して語った夢を、ここでは実現してくれる。日本とインド、釈迦尊と稲葉眞澄

10年プロジェクトに一歩一歩、歩を進める。又、小さな歩を、一歩進めた旅であった。釈迦尊に教えられ、地元の熱い友情と、青年の稲葉を信じてみようの一言に、全てを捨て邁進する。そんな日でもあった。今朝の太陽は赤く輝いた。今暮の月はマハボテを輝かした。星が無数に拡がった。私の大好きなブッタガヤを、来年も来ることを誓い、釈迦の言葉と共に後にした。帰路、新聞を見てびっくりした。私達の記事が大きな写真入りで、記載されていた。これぞ最高のみやげだ。テレビは後ほどテープ届けられる由。私共のプロジェクトは、小さなものから国家が注目するプロジェクトに代わったことを痛感しながら帰途についた。


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