2008年11月27日

NPO法人日本ニーム協会

カンボジア旅行記

2008年11月19日、タイ航空TG643で成田出発。 途中タイ・BANGKOKで乗り換え19:00Phnon Penh空港に着く。岩本理事が出向いて下さる。 トゥクトゥク(オートバイ荷台のついたタクシー)に乗り、都心のホテルへ向かう。 空港からつけてきた暴漢につけられ、手荷物が危なかった。運転手のサリン君のオートバイを蹴とばされ、荷物が外に跳ばされ危ない荒っぽい洗礼を受ける。
11月20日、岩本理事の友人が古いジャガーで迎えに来る。 この車で、日本ニーム協会カンボジア支部で働いているプノンペン大学大学院生、ホーイ ソチャン女史の家に挨拶に行く。 ソチャン女史の家の広い庭の中で、ニームの苗の育苗もさせて頂いている。 500本が元気に育っている。次に国道一号線の拡張の為、集団移住した村のために植えたニーム園の場所を見に行く。 余程牛のお気に入りと見え、インドと同じ柵の問題を感じる。

11月21日、朝9時、日本大使館訪問。篠原大使は出張中とのこと。 松尾一等書記官、中谷二等書記官と一時間ニームの件で会談。  次に、JICA訪問。米田所長、野田氏、小川氏とニームの件で一時間会談。 次に、カンボジア メコン大学訪問。 表敬訪問 学長の母、BAN THERO副学長、インドのDr.BRAHMACHARI VEDMITRA博士、日本人の樋口先生とニームの件で話す。 インド人の博士はニームの件に関して、医学的にも広く深く知識があり、大変に参考になった。 樋口先生は、日本語教室で学生達に日本語を教えている。一番新しい教材が、読売新聞のバナナダイエットの記事で、これには驚いた。 私個人の顧問、渡辺君のバナナの記事が使われ、カンボジアの地でバナナダイエットとはすごい! またこの新聞をファンドで毎日届くようプレゼントしていたのが岩本理事であった。 岩本氏の意味ある動きに感動した。 この大学の面白いところは、学費の払えない学生が受付や運営補佐として働く場所を与え、学費の援助とする場を与えていることである。素晴らしい。
夜、日本人がカンボジアの地で作った有機のコショウを売っているお店へ。KURATA PEPPER の倉田氏を訪問。内戦で失われたフルーティーな香りのカンボジア胡椒を復活。 一度味わうとはまってしまう味。 20個お土産に買う。

11月22日、この日は午前3時起床。午前4時出発。 メコン大学学長の母が所有している200万坪を見に行くことになった。 メコン大学学長の母、その妹、医者、元軍人がガードマン兼運転手。 場所はポルポトが最後まで内戦を続けた場所、地雷が多く埋められているバッタンバンである。 この地に200万坪の土地を所有している。 このバッタンバンまで6時間。そこから30kmガタガタ道を3時間。 途中日本の和民が運営している孤児院のスタッフ 清水さんが通訳を兼ね参加。 その孤児院は日本からの4人のスタッフと地元の人を入れ頑張っているとのこと。 和民も素晴らしいことをしている。流石だ。 この地の200万坪のうち20万坪をニーム林にする話でまとまり、すでに植林も始まっていた。 この広い土地にはまだ地雷も、コブラも、ハブもいるという。 身震いがする。 ここでニームの葉を使っての食事を御馳走になる。 茹でたニームに川魚、うなぎ、川ガニなどを包んで食べる。うまく薬効を使い、菌であたることを知らず知らずの内に避けている。
素晴らしい方々に出会えた。 是非この地で日本ニーム協会と提携し、ニーム大プロジェクトに挑戦しよう。

11月23日、今日はアンコールワットの監視員で農林省職員、サボン修士と一緒に動く。 このサボン修士の学業の支援をしたのが岩本理事である。 家族のために働きながら学業を続ける頑張り屋の彼である。 アンコールワットの入場料$20、サボン氏の車で無料でアンコールワットの中をぬけ、目的地まで向かうことが出来た。 サボン氏の日頃の業績のお陰。 アンコールトムの隣接地にある、彼の友人が持つ20haの土地を見てほしいとのこと。途中から迎えのバイクに乗りかえ、ニームの植えてある場所まで連れていってもらう。牛除けの柵もつけ試験的に植林は始っていた。この山にニームの林を作りたいとのこと。 ここにも大きなプランテーションが出来そうである。 とにかく人々がいい。帰りにサボン氏の家に寄り裏庭の薬草園を見せて頂き、近くのサボン氏の農園にて行っているニームの育苗を見せてもらう。 暑い中での努力に頭が下がる。

11月24日、シェムリアップからプノンペンまでの飛行機のチケットが満席で取れず。 二階建てバスにてアンコールワットを後にする。 6時間、カンボジアの大地をこの目でしっかりと見続ける。 一般道をスピードをあげ、ひやひやする。途中事故も目にする。

11月25日、メコン大学にお礼に伺う。 大学で学長と面談。 日本ニーム協会とニームに対する協定、実験場としての場の提供など話し込む。 その後、キリングフィールド(処刑場)を訪れる。 処刑された人々のドクロが慰霊塔に多数積まれている。 ポルポトがここで数えきれない程の人々を集団処刑した場所である。 当時遺体は地面を掘った大きな穴に埋められたそうで、地面には未だに骨や衣服が無造作に土から覗いている。その上を歩く人々をみて複雑な思いが残る。

11月26日、思いもよらぬハプニング。 タイのバンコク空港がデモで使用不可。飛行機が飛ばない。 岩本氏からの情報、そしてテレビでの映像。 我々の予定は、この日の夜、プノンペンからバンコク経由にて27日朝に成田着でチケットも出ていた。 長引くのかすぐの解決を見るのか、全く判断つかず。 タイ航空の支店にて交渉。とにかくその日は飛ばないことがはっきりし、チケットは無効。 何てこった!! やむ負えずホテルを取り、作戦をねる。

11月27日、プノンペン→シンガポール→成田、プノンペン→ソウル→成田、プノンペン→ホーチミン→成田、プノンペン→マレーシア→成田。 かろうじてホーチミン経由、残り数席を何とか手に入れ、Vietnam Airlines  818便 にて28日朝、成田へ無事着。

旅は思い通りにいくとは限らず、変化するもの。 人生に通ずる。 数多くの出会い、これもまた人生なり。
カンボジアは、一口で言うなら交通に現れている。 走り方は何でもあり。逆走もあり。車ありバイクありトゥクトゥクあり。 何人乗っても関係なし。 バイク事故で道路で倒れている人も見た。 状態から亡くなっていたと思う。無法地帯なのか。 都心の家は大きな施錠をかけている。安心がないのである。 乞食もあちらこちらにいる。 自由になったその日から、貧しさの中に急速に積まれた繁栄。 活気の中にもまだまだ格差が大きい。そして援助に入ってきた国々。 自国らしさはどこに・・・
しかし、大平原の穀草地帯、高床式住居に住む人々、子供たちの眼力を見るに、この国の可能性は大である。 この可能性にニームを、そして国の安心、安全にニームを役立ててほしい。 カンボジアが偉大な国へと変わるその日に、今日があったと思って頂けるような意味ある視察にしたかったのだ。 カンボジアと日本の友好に乾杯! 良い旅でした。




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